【大正末期 〜 昭和初期 世界一周 渡航記】
小山 秀子 自費出版書籍(昭和17年刊)

このサイトは昭和17年刊行の自費出版書籍「地球を廻りて」を電子化して転載したものである。
大正末期から昭和初期(1920-30年代)の世界各地の習俗、観光地、船旅、現地の日本人や移民社会が記された資料である。

初公開日 2014年2月4日/最終更新日 2022年10月8日
著者は大正年間に大阪市内の幼稚園々長として活躍、その後に世界一周の渡航をした女性である。
【著者 小山 秀子 略歴】
・ 明治12(1879)年 9月 大阪府に生まれる
・ 明治42(1909)年 大阪府女子師範学校 卒業
  〜 明治43(1910)年までに大阪市立御津幼稚園 入職
・ 明治45(1912)年 大阪市立御津幼稚園 園長 就任
・ 大正13(1924)年 大阪市立御津幼稚園 園長 引退 (大阪毎日新聞1924年3月26日記事)
・ 大正14(1925)年 4月 世界一周の渡航に門司港より出発
・ 昭和11(1936)年 4月 世界一周の渡航より神戸港に帰国
・ 昭和17(1942)年 12月 書籍「地球を廻りて」自費出版
・ 昭和40(1965)年 3月 没(享年 85歳)

【地球を廻りて】
序言
用意と別離(写真:1, 2
往船箱根丸(上海・香港・シンガポール・マラッカ・ペナン・コロンボ)(写真:1, 2) (註釈:「日瑞関係のページ」より戦前の欧州航路
エジプト(カイロ・マルセイユ上陸)(写真:1
スイス通過
オーストリア(ウィーン・オーストリア諸地方)(写真:1, 2, 3) (註釈:ウィーン幼稚園視察報告文献[PDF]
バルカン半島(ドナウ河下り)
ルーマニア(ブカレスト)
ブルガリア(ソフィア)
トルコ(コンスタンチノープル)
ギリシャ(アテネ)
ユーゴスラビア(ベオグラード)
ハンガリー(ブタペスト)
イタリア(ベニス・ローマ・ナポリ・フローレンス・ピサ・モンテカルロ・仏領ニース・ミラノ) (写真:1, 2
チェコスロバキア(プラハ・カールス温泉)(写真:1
ドイツ(ドレスデン・ベルリン・ハノーバー・ブレーメン・ハンブルグ・キール軍港・ルーベック)
デンマーク(コペンハーゲン)
ノルウェイ(オスロ・フィヨルド見物)
スウェーデン(ストックホルム)
ドイツ(二度)
ポーランド(ワルシャワ)
ドイツ(三度)(ブレスロー・ライプチヒ・ワイマール・ブランケンブルグ・ニュルンベルク・ミュンヘン)
スイス(チューリッヒ・ルチエルン・ピルナソ・フルカバ氷河)・ユングフラウ山・マッターホルン山・ゲンフ・ベルン・バーゼル)
ドイツ(四度)(フライブルグ・仏領ストラスブルグ・ハイデルブルグ・フランクフルト・ライン河下り・ボン・ケルン)
オランダ(アムステルダム・島見物・テンハーグ)
ベルギー(アントワープ・ブリュッセル)
イギリス(ロンドンとその付近)
スコットランド地方(オックスフォード・ストレートフォード・マンチェスター・エジンバラ・グラスゴー・ヨーク・ケンブリッジ)
フランス(パリとその付近)
スペイン(マドリード・トレド・グラナダ・セビラ)
ポルトガル(リスボン)
スペイン(再度)(バレンシア)
フランス(再度)(ベルサイユ宮殿・ベルダン古戦場)
欧米間船中
アメリカ合衆国(ニューヨーク・ワシントン・ボルチモア・フィラデルフィア・ボストン・ナイアガラ瀑布・シカゴ)
メキシコ(メキシコシティーとその付近・グツダラハラ・マンサニオ港・安洋丸船中・パナマ運河)(写真:1, 2, 3, 4, 5
ペルー(リマ・カイヤオ港とその付近・クスコ(インカ民族)・土地人の生活・ペルー革命に就いて・日本移民に就いて・二世問題)(写真:1, 2
チリ(アリカ・ユキケ・バルパライソ(ロビンソンクルーソー島付近)・サンチアゴ・タルカ・コンセプシオン・テムコ(アラウカナ民族)・バルデイビア・ナソルノ(チリ富士)・アンデス山越え)
アルゼンチン(メンドサ・ブエノスアイレス)(写真:1, 2
ウルグアイ(モンテビデオ)
ブラジル(サントス・サンパウロ・リオデジャネイロ)(写真:1, 2, 3, 4, 5, 6
帰国の船中(アマゾン/ベレン・米国西部/ヒューストン・ニューオーリンズ・パナマ運河(再度)・ロスアンゼルス)
日本帰国(横浜・神戸港〜十二年目の邂逅〜)(写真:1

[全編 PDF 44.9MB] 〜国立国会図書館デジタルコレクション収載〜
オンライン資料収集制度

【以下はサイト主宰者が読み解いた渡航の行程】
・ ウィーンに約2年間滞在(P162):この間にバルカン旅行、イタリア旅行。その後にベルリンを拠点に北欧、ポーランド、スイス旅行。
・ ロンドン郊外に移る:滞在期間の明記はないが、視察箇所等より1年程度であったと考えられる。
・ パリに移り約7ヶ月滞在(P430):この間にスペイン、ポルトガル旅行。
・ 北大西洋航路で渡米:この時点で滞外4年(P454)、メキシコ行きを決意(P447)。
・ メキシコに移る:オブレゴン大統領暗殺直後(1928年7月)に入国(P498)し、1年以上滞在(P530)。
・ ペルーに移る:滞在中、アプラ党による「ペルー革命」(1930年8月)に遭遇(P565、P577)、暫く後に出国し、チリ(P599)に2ヶ月、アルゼンチンに4ヶ月程度滞在(P647)。
・ブラジルに移る:4年半滞在(P686)の後、帰国。
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【著者 小山秀子(ヒデ、秀、ひで)論文等の業績】
幼児教育領域で1910-20年代に文献公表、その一部は100年以上経た現在も引用されている。
1) 小山 ヒデ, 石川氏の園藝談, 京阪神連合保育会雑誌, Vol.25, 1910年7月, p.15-19 【この文献に被引用
2) 小山 秀子, 宮本 ヒサ, 色ノ問題ニツキテ, 京阪神連合保育会雑誌, Vol.26, 1913年2月, p.37-38, 44-51 【この文献に被引用
3) 小山 ヒデ, 我国元来ノ玩具ヲ幼稚園恩物トシテ応用スルコトニ就テ, 児童研究, Vol.18, 1915年 p.60-60 [URL]【この文献に被引用
4) 小山 ひで, 夏季の水遊び, 婦人と子ども, Vol.15, 1915年8月, p.338-346 [PDF] 【この文献に被引用
5) 小山 秀, 幼稚園と家庭との聯絡の方法, 婦人と子ども, Vol.15, 1915年12月, p.504-508 [PDF]
6) 小山 ひで, 幼稚園から小學校への聯絡 一, 婦人と子ども, Vol.16, 1916年2月, p.62-67 [PDF] 【これら文献に被引用 1, 2, 3
7) 小山 秀, 同園會設立について, 京阪神連合保育会雑誌, Vol.36, 1916年2月, p.84-87
8) 小山 ヒデ, 古葉書細工をお勸めしたい, 幼兒教育, Vol.19, 1919年3月, p.125-126 [PDF]
9) 小山 秀子, 學會 大阪兒童學會第一囘總會(承前) 祝賀騒ト子供, 児童研究, Vol. 23, 1920年, p.27-27 [URL]
10) 小山 秀子, 九州巡り, 京阪神連合保育会雑誌, Vol.43, 1920年6月, p.55-59
11) 小山 ひで, 學會 第二囘大阪兒童學會總會(承前)幼兒の音域につきて, 児童研究, Vol.24, 1920年10月, p.44-44 [URL]
12) 小山 秀, 花籠 童劇遊戯 盛文堂中村書店(大阪市) 1923年 [URL]
13) 小山 秀子, 維納市にける幼稚園に就いて, 幼兒の教育, Vol.26, 1926年2月, p.23-28 [PDF]【ウィーン滞在中の報告:この文献に被引用
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【参考資料】
・ 山邊 知之, 関西保育界の視察 婦人と子ども, Vol.18, 1918年5月, p.164-168 [PDF]
・ 富 はま子, 大阪市立御津幼稚園(各地幼稚園だより), 幼児の教育, Vol.42, 1942年6月, p.34-35 [PDF]
・ 御津幼稚園の入職時期は上記の文献1より、園長就任および引退時期は「南区志」(大阪市南区役所 昭和3年 刊行)P297)より確認。
・ 私生活では結婚し、一男(彰:明治31(1898)年生)、一女を授かった後、夫と離別。その後、28歳時に大阪府女子師範学校に進学。
・ 小山姓は彰が継ぎ、子孫を遺している。帰国後は阪急沿線の大阪府豊中市に彰家族と居住(彰が阪急電鉄の住民誘致に応じたものと思われる)。
・ 彰は豊中市にて産婦人科医院開業の傍ら、ダンス教室等を主宰し「阪神間モダニズム」の一端を担ったと伝わる(資料:豊中の文化 昭和29(1954)年
 (参考:文化団体としての豊中文化協会, 新修豊中市史 社会教育編, 第3節, P.451, 豊中市史編さん委員会 社会教育部門委員会, 豊中市, 2004年)。
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